中村裁判の和解成立にあたっての当弁護団の見解
2005年1月11日
中村裁判弁護団
弁護士 升永 英俊
同 荒井 裕樹
同 江口 雄一郎
T [中村裁判の4つの意味]
平成13年8月23日、中村教授は、日亜化学工業鰍ノ対し、特許法35条に基づき、特許を受ける権利の譲渡に対する対価請求の訴訟を提起しました。
中村裁判は、下記第1〜第4の4つの意味を持っています。
第1は、ご褒美(即ち、2万円)から、不十分ながら、発明の譲渡の対価(即ち、8.4億円〈利息を含む〉)への転換です。
従業員発明者・中村教授は、従来、職務発明をした時、会社からお褒めの意を顕わす2万円の褒賞金を受領するだけでした。しかしながら、中村教授は、職務発明であっても、特許法29条、35条に基づき、発明と同時に、従業員発明者が発明に対する権利を所有することを知りました。中村教授は、会社に対し、発明完成と同時に発明者が所有する、発明に対する権利を会社へ譲渡する対価を、特許法35条に基づき、請求することにしました。即ち、中村教授は、「ご褒美(即ち、褒賞金)を有り難く会社から押し戴くということ」を止めて、裁判で、特許法35条に基づいて、発明の譲渡に対する対価を、会社に対して主張したのです。
提訴時の平成13年8月以前、2万円であった「褒賞金」は、本件和解により、不十分ながら、8.4億円(利息を含む)の「発明の譲渡の対価」に変わりました。
本件8.4億円(利息を含む)の和解金は、額の点で、原審判決に及ばなかったとはいえ、本質的には、画期的勝訴です。
提訴時(平成13年)以降、職務発明制度につき、大きな変化が生じました。企業は、従来の発明報奨金支払い制度を見直しています。
某化学メーカは、2003年に、共同発明者数名に対し、発明報奨金として、2億5000万円を支払いました。
某電機メーカは、社内の職務発明規定を改正し、会社が受領した特許権実施料の5%を発明者に支払うこととしました。
このような現象は、中村訴訟が提起される前は、なかったことです。
第2は、会社に対する個(即ち、個人)の確立です。
個人(「個」という)は、本来、権利(勿論義務を伴いますが)を有しています。その本来あるべき個の権利は、会社のための滅私奉公の思想の下では、会社の中に埋没していました。
個が、労働組合の支援なく、本来有している個の権利(即ち、特許法35条に基づく、発明の譲渡の対価を請求する権利)を、会社に対し、明確に主張したことが、中村裁判の特徴です。
本件和解では、会社に対する個の権利の主張は、明確に認められました。
日本企業は、終身雇用制度を採用してきました。従業員は、会社に対して、個人として考え、個人として会社に対して権利を主張するということはありませんでした。滅私奉公です。そこでは、私(個人)は存在せず、公(即ち、会社)のみが存在します。
バブルが崩壊し、幾つかの企業は、リストラに手を着けました。企業は、従業員に対し、必ずしも終身雇用を保障できない時代です。この新しい時代に対応して、従業員も個を確立しなければなりません。従業員は、個として、ものごとの是非を考えることを求められます。会社の法令遵守(コンプライアンス)の問題も、従業員側に個の確立が無ければ機能しません。コンプライアンスは、形式だけのことになります。
中村裁判は、従業員の滅私奉公の思想に反して、個の確立を主張するものです。個の確立の問題は、従業員と会社との問題に留まりません。国民と国家との関係においても、同じことです。国民は、個を確立すること(即ち、国民一人一人が、確立した「個」として、ものごとの是非を判断して行動すること)を求められます。
第3に、単なる褒賞金から、「発明の譲渡対価」へ転換することによって、産業の振興の目的は達成されます。
この中村裁判は、個人が会社を訴えたとはいえ、決して、反企業、反産業振興の裁判ではありません。
人は、通常、自らの仕事に対して評価を得ようと努力します。向上心を持ちます。会社が発明に対して2万円の”ご褒美”を支払うということは、会社は、発明をした従業員の仕事を2万円としか評価していない、ということです。
会社が、発明の譲渡に、数億円の対価を支払うということは、会社が従業員の発明を数億円と高く評価した、ということです。そして、会社が数億円の対価を従業員に支払うということは、会社は、「職務発明であっても、発明の完成と同時に発明に対する権利は、発明者に帰属する。会社がその発明に対する権利を取得するためには、ご褒美ではなく、「対価」を発明者に支払わなければならないこと」を認めたということです。
会社が、億の単位で発明を評価すれば、その発明をした発明者は、他の社員からも、高い評価を得られます。社外からも、世間からも、高い評価を得られます。人にとって、他人から高い評価を得るということは、なによりも、向上心を掻き立てる”源”となります。発明者が、より高い金銭的評価を得んがために、より大きな富を生む発明をしようと、向上心を持って研究開発すれば、より大きな富を生む発明が生まれるチャンスが出てきます。それは、企業にとっても、より富を生む手段(知的財産)を取得するチャンスが増えるということです。
日本の未来は、知財立国にあります。「褒賞金」から「発明の譲渡対価」への転換は、企業の富の増大、産業の振興という目的に沿っています。
このように、中村裁判の目的は、決して反企業ではありません。産業の振興を目的としたものです。
第4は、裁判の規範(即ち、ルール)の創造機能です。
@オリンパス光学裁判、A日立裁判、B味の素裁判、C中村裁判により、企業の職務発明報奨金が、「ご褒美」のレベルの金額から、「発明の譲渡の相当対価」の金額へ変わり始めました。即ち、これらの裁判は、規範(ルール)の創造に係わっているのです。
日本は、三権分立の国です。国の権力は、司法、立法、行政の3つに分立されています。
国会は、最高の立法機関ですが、国会が立法全てを独占しているわけではありません。
裁判所が法律を具体的に事実に適用して裁判する場合、裁判所は、法律の条文の意味を解釈せざるを得ません。裁判所が、この法律の条文を解釈する過程で、裁判所による規範(ルール)の創造が行われるのです。これは、見逃すことのできない重要なことです。
日立判決、味の素判決、中村判決の規範(ルール)創造機能により、企業の発明報奨金制度が変更されつつあります。これらの事実は、「裁判所が、規範(ルール)の創造に係わること」を端的に証明しています。
中村裁判は、この「裁判による規範(ルール)創造機能」を国民の目に見えるかたちで、明らかにしました。
裁判所は、「正義と公平の理念に基づいて、法令を解釈して、規範(ルール)の創造を行う」という重い責務を負っています。
U [和解により本件裁判を終了する理由]
本件を和解で終了する理由は、以下のとおりです。
1.当弁護団は、「@和解に応じなかった場合に予想される判決内容、A上告審で高裁判決が破棄される可能性、B破棄された場合に差戻審で認定される可能性のある金額、C上告審で一審判決の金額が支持される可能性、D上告審及び差戻審のために中村教授が投入しなければならない時間、E上告審及び差戻審に要する年月、F二次訴訟を提訴する現実的可能性、G二次訴訟のために中村教授が投入しなければならない時間、H二次訴訟に要する年月、I和解に応じた場合の中村裁判の目的の達成度(詳細は下記2,3参照)など、本件に関する全ての事情を考慮して、依頼者の最大利益は、和解勧告を受諾することと考える」と依頼者に助言し、中村教授はその助言に従い、和解勧告を受諾することとしました。
理由の詳細については、弁護士の依頼者に負っている守秘義務により開示することを差し控えさせていただきます。
2.日立判決では、発明により生じた利益10億円につき、共同発明者間における寄与度70%の共同発明者の相当対価として、1.6億円が認められました。
味の素判決では、発明により生じた利益80億円につき、共同発明者間における寄与度50%の共同発明者の相当対価として、約2億円が認められました。
裁判所の和解勧告は、本件和解金は、これらの2つの裁判例を否定するものではない旨述べています。とすると、本件和解金額(8.4億円〈利息を含む〉)は、中村教授の発明より生ずる利益が巨大であるが故に、発明により生ずる利益の額があるレベルに達すると、相当対価の額は頭打ちすることを意味します。
3.中村教授は、8.4億円(利息を含む)という本件和解の金額に満足していません。とはいえ、中村裁判で、『ご褒美としての2万円が、中村教授の日亜化学在職中になした発明の譲渡対価として、不十分とはいえ、8.4億円(利息を含む)に変わったこと』は、まぎれもない事実です。
中村裁判の目的は、「発明補償金をご褒美の額から発明の譲渡対価の額へ変えたい。それによって、技術者・研究者の眼の色を変えさせたい。眼の色が変わった技術者が富を生む発明をし、産業が振興され、日本を豊かにしたい。」ということでした。本件裁判において、職務発明の譲渡の相当対価として、不十分とはいえ、8.4億円(利息を含む)が認められたことにより、日本は、この中村裁判の目的に沿って、日立判決、味の素判決から更に前進したと言えましょう。
以上の理由により、当弁護団は、和解により、中村裁判の幕を引くことが、依頼者の最大の利益と考えました。
4.最後に、「職務発明の譲渡対価」の問題は、他人事ではなく、技術者一人一人が、自分自身の問題として、各自が背負ってゆくべき問題です。自らは何もせず、他人がそれ解決してくれることを期待して待っていれば、あるいは戦っている他人に声援を送っていれば済むような問題ではありません。
中村教授は、2万円を8.4億円(利息を含む)まで持っていきました。この先は、中村教授からバトンを手渡された後続ランナー(即ち、一人一人の技術者全て)が、更にこのバトンを引き継いで前進することを、期待します。
中村教授は、この「職務発明の譲渡対価」問題のバトンを後続のランナー(即ち、一人一人の技術者)に引き継ぎ、本来の研究開発の世界に戻ります。
これまで、各方面からお寄せいただいたご支援・ご声援に対し、心から感謝申し上げます。
以上